佐用水害ボランティアをしてきました

2009年8月11日(火)


昨日、台風9号の被害対策のための民主党兵庫県連対策本部が設置され、山口つよし、松本たけあき両前衆議院議員、水岡俊一参議院議員らが役員となった。党本部から藤井裕久最高顧問(元大蔵大臣)が現地の状況をするため、現地入りされ、山口つよし前衆議院議員が案内するということなので私も佐用へ向かう。私の事務所から新宮のテクノまでは山陽道・播磨道を使い、そこから国道179号線を使って佐用町入りした。


佐用町の中でも被害が大きいという「久崎地区」に向かうも、国道179号線太田井橋交差点から下徳久交差点まで渋滞



久崎駅付近に到着。智頭急行は、久崎駅〜大原駅間で不通となっており、バスによる代替運転を実施中



待ち合わせ場所の久崎郵便局前



藤井裕久民主党最高顧問(元大蔵大臣)が水岡俊一参議院議員とともに神戸から到着。地元兵庫12区の山口つよし前衆議院議員、庵逧典章佐用町長の案内で被害の大きかった久崎地区を歩く。



久崎商店街の様子。水は引いてはいるものの水を含んだ泥が家の中に残り、道路も覆っている。



久崎商店街の様子2。
道路は泥だらけ。街角のいたる所に回収を待つゴミの山。豊岡の時より、頻繁に回収車がやってきて回収していく。



床上浸水の被害を受け作業中の住民の方から、状況や意見を聞く藤井最高顧問と山口前衆議院議員。藤井顧問は想像以上の被害と。



久崎商店街の様子3。泥のつき具合からみて相当土を含んだ水が流れ込んできたのだと思われる。




商店街から街道(国道373号線)方面へ



久崎地区に被害をもたらした佐用川の堤防決壊現場に近い民家。氾濫した水位の位置がカーテンにはっきり写っている。左後方の家は残念ながら流されて半壊状態である。



最後に山田弘治佐用町議会議長が来られ「今回は被害が甚大で、復旧は簡単なことではありません。国や県の支援をお願いします」と。長居しても迷惑がかかるということで1時間程度で民主党の現地視察団は任務終了。



私の感覚では、平成16年の台風23号による豊岡水害のときとほぼ同じ被害状況。昨今、こうした被害があるとボランティアに来られる方も多いのだが、被害直後からだろう、ここではボランティアの方を見つけられなかった。
私は現地に残り、党の立場とは別に個人で片付けなどのボランティアをすることにする。


現地の方に被災状況を聞くとともに、ボランティアの受け入れ体制を確認するため佐用町役場へ。



話を伺ったご夫妻。避難勧告の町内放送があってすぐに、小学校へ避難しようと家の外へ出たら、水位が急に上昇してきたため、家に戻って2階に非難したという。ここでも、ご主人の顔の位置ぐらいまで水位が達したことが家についた線でわかる。



この地区の避難場所「久崎小学校」。ここに避難する途中で濁流に飲み込まれた人がいたそうだ。



久崎小学校の1階部分。プランターのすぐ上まで水がきているものの避難場所の小学校は最後の砦。床下浸水にとどまっている。



小学校のフェンス。濁流が運んできた草木がフェンスに絡んでいる。



道路の上で死んでいる魚。増水した川の水が引いていく中で地上に取り残されたのだろうか。



久崎地区から佐用町役場へ向かう途中、佐用川沿いを走る。車道上にはまだ流木や石などが残っている。



車道脇で横たわっている車。どういう状態でこうなったのか。恐ろしい水の力である。



濁流に飲み込まれ、へこんでいる車も。



川の流れにより道路部分までえぐりとられて片側通行になっている箇所も



川周辺の行方不明者の捜索は今も続いている。兵庫県警は多くの機動隊員を動員して対応している。


 
JR姫新線は播磨新宮〜津山間が不通。一部区間では、踏み切りや線路が川のような状態に。


佐用駅も床上浸水。



なんとか佐用町中心部まで到着。役場周辺の商店街も床上浸水。1階にあった商品は全て水浸し。売り物になりそうにない…。



呉服屋さん。



お寿司屋さん。カウンターの什器も全て水浸し…。



お寺の壁も流れ



商店街の一角にある 神姫バス系列の「ウエスト神姫」佐用出張所を訪問。社長を筆頭に復旧作業中。



バスが水に浸かる被害も。応援に来られたグループ会社の神姫商工の社員さん「この高さまで水がきました」。



ようやく佐用町役場へ。姫路市ほか周辺の自治体の給水車等も応援に駆けつけている。



町役場1階。浸水したものの、復旧したと報道されたように思っていたが、役場機能は2階以上に移されただけ。
県立佐用高校の野球部員、マネージャーの皆さんがボランティアで清掃作業をしている。


町役場2階。多くのマスコミの皆さんが入口に待機し、職員の皆さんは電話や作業等で忙しそう。ボランティアをしたい旨申し出る。すると車で10分ぐらい離れたところにあるボランティアセンターを案内されたので向かう。



案内された住所が違っていて驚いたが、混乱していたのだろう。佐用町災害ボランティアセンターに到着(佐用町東徳久1946番地) ※通常は「南光地域福祉センター(センターひまわり)」
スポーツ公園 「若あゆランド」が目印。


センターで住所・氏名や電話番号を登録し、ボランティア保険にも入る手続きをしてもらう。スタッフの方の話では、今日はこれまで約70人のボランティアの人が来てくれたという(今日が実質的な初日だが、夕刻までに90人ほどになったようだ)。

被災者からボランティアセンター宛てに「どういった仕事を手伝ってもらいたい」かのオーダーが入り、そこで、センターがボランティアを派遣するシステム(全国各地でほぼ同じ方法)。1人でボランティアに申し込んだとしても、2人以上のグループがセンターによって組まれ、派遣される。今回は男2人、女1人の3人で私がリーダーに指名される。一人はある役場にお勤めでボランティア休暇をとってこられている。もう一方は町内に住んでいる方で、自分の家は被害がなかったので手伝いにきたという。


センターの方から派遣先が「80代のお年寄りの一人暮らしで、ほとんど歩けない状態」と聞き、大変だろうという思いで駆けつける。現地は息子さんと親戚の女性がいて、いろんなお話を伺いながら作業を行う。プライバシーとも関連するため、多くを記すことはできないが、昨日の朝6時に駆けつけたとき、お父さんの無事が発見されて驚いたという。お父さんは避難しているものと思っていたから。1階で生活していたお父さんは、ほとんど寝たきりのため床上浸水があっても避難できなかったのだが、その情報が入っていなかったのである。川が氾濫し、2階近くまで水位があがったとき、恐らく介護ベッドも一緒に水に浮きあがり(エアマットのように)、お父さんは水につかることなく、水位がさがるまで浮いていたと思われるという。まさに奇跡だと思う。

作業は、床上浸水となり、家中が泥だらけとなった泥の搬出と「流し」「重いたたみ」「ガラス戸板」ほか家財道具一切合切をゴミとして搬出するもの。家に残す唯一の例外はゴルフのトロフィーと貯金箱である。もったいないと思われるかも知れないが、一度泥水につかった家財道具などは使い物にならない。泥もそのままにしておくと家の中にカビが生えるのである。

全ての家財道具を搬出し、回収してもらい、予定時間を少しオーバーし4時すぎに終了。
久方振りの泥搬出作業には本当に濃い汗が出た。立ちくらみも。体力がないことを実感。



ボランティア作業が終了し、家族の皆さんと一息つくメンバー。いただいた冷たいお茶が美味しい。本当にお疲れ様です。センターに戻り、報告書に記入し、解散。メンバーの女性は明日も参加するそう。



服の袖にはってもらったボランティア登録の名札。選挙事務所の机に張っておこう。