Web版ひであき日記

2006年07月

  未定稿
07/01 (土)

HPについては、2002年の開設以来、容量が増え続け、容量の追加を繰り返し対応してきた。またNさんのサーバーを借りるなどもしてきたのだが、この7月1日付けでニフティサーバーから新サーバー変更することに。昔作ったページへ自分で辿り着けないというような混乱もあった(苦笑)。昼食は和そばを茹でるも不味い。そういえば年越しそばも私が茹でたが不味かった。何故だろう。

その後、各種資料整理。パソコンのハードディスク内のファイルを先頭から再配置し、空き領域の断片化を解消することを”デフラグ”というが(デフラグメンテーション[defragmentation]の短縮語)、3年間の活動内容を整理するだけでも大変である。その後、Rと外出。最近も父のことを心配して下さる方が多いのだが、今日は30年以上の付き合いの方のところで夕食。先日も父の同級生のMさんから、「子供のときから父親がいなくても頑張っている人はいる。君もひとり立ちして頑張るときだ」といわれた。もとより父を背負って頑張るつもり。その後、JR関係者と懇談。その後、イーグレひめじ。風呂に入った後、帰宅。HP切り替えは通りすがりのNさんにお任せし、無事終了。

「ブックマーク」の変更をお願いします。
竹内英明のHP

  未定稿
07/02 (日)

テレビで政治番組を見る。テレビ朝日のサンデープロジェクトには小沢代表が登場。その後、焼きそばをつくる。賞味期限切れの食材も大量動員。コンセプトなき料理はやはり不味い。その後、手柄のM代議士事務所。民主党姫路総支部幹事会。国会、県会、市会報告の後、党本部方針に基づくM代議士からの提案について全員一致で承認。腹を括る。

  未定稿
07/03 (月)

車で姫路駅前。月曜朝の街頭演説。見慣れぬ聴衆もちらほら。M代議士の演説を熱心に聴いておられる。私からは6月議会の報告、議会活動の総括などについて話す。終了後、二階町のはまもとコーヒー。その後、東駅前町のS組合。組合委員会に来賓出席。挨拶。最近の市政の方向性とこれまでの支援に対する御礼も含める。その後、O議員、S相生市議、Kさんと懇談。その後、本町のN労。K分会長、I事務局長、Oさんと懇談。最近過去の取り組みの整理をしているのだが、Oさんが撮影してくれた写真も見つけた。懐かしい。一緒に戦った同士。いつの間にか一児のパパと先を越されている。その後、市役所。会派控室。同僚議員に報告事項。その後、視察の件で打ち合わせ。その後、地下食堂で買い求めたみそ汁をすすりつつ少し作業。その後、姫路バイパスで姫路。ようやく再開された父のリハビリ(PT=理学療法)に立ち会う。肺炎のため2週間以上もリハビリなし。ゼロとは言わないが再スタートである。医療保険適用のリハビリが180日に制限されたことは反対署名運動や報道等で最近知られるようになったが、一日たりとも無駄にできないという思いで見守る。週末も父のもとを訪ねて下さった方がいるという。ありがたい。

その後、父の勤務先へ。Kさんと打ち合わせ。私が出向くのは入院後初。多くの方に大変ご迷惑をかけている。ただに御礼とお詫びのみ。私も子供の頃、父が夜勤の時などにたまに行ったことを覚えている。懐かしい場所でもある。最近創立50周年を迎え、式典にも出席させて頂いたが、昔に比べると敷地も広くなり、施設も立派になった。社会的な責任も増していると思う。そういえば、父は入院当初の無意識に近い状態のときにも「けいふうに行きたい」ということを何度も口にしていた。先代時代を含め40年も勤めてきたのだから人生そのものかも知れない。なんとか復帰させてやりたい。

その後、実家。その後、病院へ行っていたRから電話。昼間も少しおかしいとは思っていたが、喉の調子が悪くなり、これから車椅子に乗せて他の病院に連れて行かなければならないという。肺炎が落ち着いたばかりなのだが…。夜の診察の結果、脳梗塞に起因して新たな症状が出たということらしい。明日から行政視察の予定、東京へも呼ばれている。既定のもののドタキャンできないにしても、少し慎重に考えなければならない。

一昨日、橋本龍太郎元総理が亡くなられた。私の学生時代に故奥田敬和先生と予算委員会で対決したこと(後輩のUさんを紹介したこと)、私が政治の世界に戻った98年に、復帰第一戦の夏の参院選で予想外に菅民主党に敗れ総理大臣を辞任したこと、赤坂のざくろという店に秘書官を連れてしゃぶしゃぶを食べに来られていたことを思い出す。ポマードとキザな話し方に違和感を感じる向きもあったし、日歯連からの1億円小切手提供問題について「僕は覚えていない」と発言して物議を醸したが、この人らしい発言だとも言われた。

麻布・慶応を出て26歳の時にお父さんの跡を継いで衆院に当選したという典型的なエリート政治家ではあったが、官僚と伍する政策理解形成能力があったとも言われる。中央省庁再編や経済財政諮問会議の導入にその一端が垣間見える。また、任期中に実施した消費税率アップについて、景気腰折れ批判やその実施時期を疑問視する声があったが、当時の自民党で将来世代のために財政再建に取り組もうという姿勢があったことはもっと評価されてもいいと思っている。ご冥福をお祈りしたい。

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07/04 (火)

視察前日は移動時間が多いことを見越しため徹夜することが多いのだが昨日はいつの間にか眠っていた。4時に起床。頂いたメール、友人のHPサイト等に書き込みなど。

朝食に先日つくった焼きそばとみそ汁。やはりあまり美味しくない。みそ汁を急いで食べたため口内をやけど。車で実家。徒歩で砥堀駅。播但線で姫路。神姫バスターミナル。リムジンバスで神戸空港。施設、展望台等を見学。かなりコンパクトで驚く。神戸には珍しく収支を意識したものだと思う。PTA団体等の見学も多くきていた。上島珈琲でアイスコーヒー。その後、JAL便で仙台空港。肉まん、スティックなど。ジャンクフードの昼食。

高速バスで仙台駅。タクシーで仙台市役所。議会事務局調査課のOさんと合流。議会会議室へ。M調査課長の歓迎挨拶、会派市民クラブのT会長の返礼の挨拶の後、東北三大祭の一つ「七夕祭り」の市民参画状況について、観光交流課のI課長、T係長から話を伺う。O政策企画課長も同席。仙台の七夕は毎年8月の3日間実施され昨年は230万人が訪れるという。姫路のゆかたまつりが3日間で20万人というから約10倍の規模。この祭りが民間中心に実施されているとO課長から聞き、今回視察先に選定させてもらった。というのもO課長は姫路出身で今年の祭り屋台in姫路の際に姫路に戻ってきていたので、その際に聞いたのである。私の高校の同級生でもある。中央省庁の官僚なのだが仙台市に出向している。

事前の調査依頼については資料を用意してくださっていたので、別紙に譲るとして、ゆかたまつりで問題になっている警備体制や警察との協力、自治体職員の関与方法や他のイベント型集客の市民参画等について質疑応答、意見交換なども行った。T会長から近年の姫路のゆかたまつりのトラブル等について説明し、私からも運営主体や商店街等との協力等について話す。

仙台市調査回答資料(PDF)
http://himeji.g-serve.net/xoops/uploads/photos/103.pdf

仙台市の話。「七夕祭り協賛会が実施主体[市長=名誉会長]で市や県、商店街、各種団体が構成員となり、各部会をつくっている。七夕祭りは元々販促活動の一環として各商店街が飾り付けをはじめたものであり、商店街がやるものという意識がある(行政がやるものという意識はない)」「祭り期間は、牛たん、笹かまをはじめ、萩の月等の銘菓、飲食店やホテルなど観光関連産業の売上はかなり高まる。ホテルはなかなかとれない。商店街には他の物品やカバン・婦人服飾等の販売店も多いが、売上増につながっているかといえば、観光関連に比べれば微々たるもの。一部に、売上が増える以上に七夕の飾付けや作業に入用という主張もあるが、多くの商店主は地域のために頑張っていると考えており、プライドでやっている」

「祭りの予算規模は1億1千万円。市が負担金として3500万円を出しているが、県も補助金として1500万円を拠出している」「県は自主警備部会等の実行委員会のメンバーにも入っている。県警との折衝もそこが行う」「市職員の動員は、観光交流協会の職員が9名のほか、外郭団体のコンベンション協会の職員も出勤する。ただし警備等の業務はない。観光バス用の1つの臨時駐車場の管理を任されるので入場整理をするぐらいである」「暴走族は20年前には流行っていたが、最近街中でもほとんどみられない。七夕祭りで見かけることはない」

「PR費用としてはポスター・パンフレット・うちわなどの広告宣伝費が1200万円。また遠くは関西圏までミス仙台や職員を派遣するキャンペーン[1チーム5〜6名]の費用が400万円など」「青森のねぷた、秋田の竿灯とあわせ『東北三大祭り』という名前が付けられた経緯は、JTBを中心に国鉄(当時)などが1960年代につけたネーミングという説が強い」

最後にO課長から姫路ゆかたまつりと仙台七夕祭りの違いについて総括してもらった。
「もともと仙台は民間の力が強い。NPOや市民活動が盛んである(オンブズマンも機能をはたしているらしい)。こんなに多くの人が歩いている現在の仙台の商店街でも過去には空洞化という危機感があった。いま高速バスが1日40本も山形や福島から客を運んでくる。他都市から客を吸収しているのは、仙台ブランドをつくってきたからである。街のイメージを高めてきたからである。商店街の負担も大きかった(それがあるから今がある)。」「仙台に観光で来た人が一番がっかりするのが歴史についてである。伊達政宗をイメージして来られる人もいるが、仙台城には天守閣や歴史的な建物はない。仙台に姫路城がほしいと思っているほどである。姫路は世界文化遺産があるのに活かしきれていない。もったいない」皆この話を聞いて納得していた。

終了後、Oくんの案内に従い、定禅寺通り、青葉通りを見学しつつホテル。定禅寺通りは「杜の都」を中心部で実感できる通りとして植樹と看板規制など景観に配慮し、市民と協働で作り上げたシンボル的な通りという。ケヤキはきれいだが落葉樹のため冬前ともなると1日2回必要なこともあるという。そうした努力も必要ということだろう。その後、市民クラブのメンバーとOさんを交え夕食懇談。姫路出身だけに人間関係がつなることもあるようだ。姫路の街づくりについても熱心に語っていた。


滋賀県知事選挙で3期目を目指した現職が市民派候補に敗れたことが取り上げられている。県内では播磨町でも現職の町長が特段の失政なく新人候補に敗れた。メディアだけではなく政治関係者の中でも話題になっているが、滋賀県知事選では民主党の相乗り姿勢に対する批判がある。これは前々回の衆院選で民主党が強かったことで、民主党自体が与党的立場にあったということが背景にあり、「県知事・政令市長選挙には与党との相乗りは認めない」という小沢代表の方針に反して現職を推薦した。今回は共産党の推薦する候補も別にいるが得票は限定的であり、非与党・非共産の立場でいい弾が出ると強いということがわかる。格差社会、閉塞感がある世の中で候補者の現実的能力を判断している。組織で縛っても縛られない有権者の姿がある。その有権者の意識を読み取らなければならない。私も数日だが、最近個人宅を回った。税金アップ、年金カット、医療費など負担増に対する反発が極めて多い。負担増は財政構造上、過去の政権運営のツケがまわってきているだけだが、ようやく政権交代に対する期待につながるほど閉塞感として出てきている。もうこれ以上借金はできないのである。来年7月の参院選は言うまでもなく、次回の衆院選が政権交代(二大政党)時代を迎える戦いとなるのだろう。「日本をあきらめない」は前回衆院選の民主党スローガンで現実を表していないと批判されたが、本格的な格差社会や高負担低福祉の姿が見えつつある今こそ必要な言葉だと思う。

「もったいない」という言葉が新幹線の新駅(大型公共事業)を表す言葉として使われているが、私もこの言葉には反応した。食生活では出された食事は全て食べるし、賞味期限が多少切れようが捨てずに食べる。これは母親の躾の影響。もちろんマイナスも多い。

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07/05 (水)

ホテルをチェックアウト後、徒歩で仙台駅。新幹線はやてで盛岡駅。乗車券の予約に手違いがあるなどトラブル。よくある話だが、その後の対応が危機管理。議会事務局議事課O係長と合流。マイクロバスで市役所。Y事務局次長から歓迎のご挨拶と市政の概要説明。昨年の国勢調査で人口30万人を超え、中核市の要件を満たしたという。人口が増えたのではなく、隣りの玉山村と合併。その村は石川啄木の出身地で観光資源も手に入れたという。ところが、今年4月には30万人を割り込んでいるという。ただ国勢調査人口が全てのため、平成20年にも悲願の昇格があるそうだ。その後、盛岡市雇用労政課のA課長、Yさんから盛岡地域若者就業サポートセンターの概要説明、質疑応答。

盛岡市提供資料(PDF)
http://himeji.g-serve.net/xoops/uploads/photos/106.pdf

盛岡市の場合、名称こそ姫路市と似ているが、フリーターではなくニートを中心にした取り組みである。これまで他都市の取り組み事例もほとんどないことから試行錯誤しているという。「悩んでいるのはニート本人ではなく親」という話もあった。親は知人や近所にはそうした事実を隠したがり、誰にも相談できず悩んでいる人が多い。親が甘やかしているという話もあるが、そうした場合を除き、この問題を自己責任論だけで片付けることは、社会全体にとってよりマイナスであると思う。

その後、徒歩で岩手県公会堂。ここに盛岡地域若者就業サポートセンターが入っている。運営委託されている「いわてNPOセンター」のT理事長、担当のOさんからヒアリング、質疑応答。このNPO法人は指定管理者制度で県からこの建物全体も管理しているという。現場の話や自衛隊の体験入隊、職業訓練等の実情について教えて頂く。広報誌の内容等、私と少し異なる考えのところもあり勉強になる。盛岡市の場合、岩手県との連携や役割分担、国のモデル事業への応募・受諾、NPO法人への運営委託など関係機関との連携が見られる。5月にオープンしたばかりだが、今後の取り組みに要注目である。

私も若年者雇用について重要視している。今回の本会議で質問しただけでなく幾度となく取り上げてきた。それは、若年の失業や無業者が将来的にも大きな問題となる可能性があると思うからであり、雇用によって税や年金制度の支え手をつくるということである。また結婚や少子化対策にもなるという意味もある。また格差社会をこれ以上拡げないためにも必要だと思っている。実は、4年前の選挙の挨拶回りなどで同級生の親御さんと久し振りに顔を合わせたのだが、その中で、子どもの問題で相談を受けるものがあった。就職の問題やフリーターの問題だけでなく、表面化していないニートや引きこもりが多くショックを受けた。「家にいるが出て来れない」。以来、自分の中で大きな課題だと認識している。

徒歩で盛岡市役所。盛岡市の水道水をつめたペットボトルを頂く。水道水が美味しいことが自慢ということである。マイクロバスで送って頂く。昼食は東屋でそば。その後、盛岡駅ビル散策。むら八。その後、新幹線で仙台。青葉。仙山線快速で山形。タクシーでホテル。病院に行っている妹Rからメール。父が肺炎を再発。先生が私に来るように言ったという。再び手術が必要なようでその話だと思う。

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07/06 (木)

ホテルで朝食。バイキングの中には山形名物の芋煮があった。その後、山形市議会事務局のTさんと合流。人口25万人の山形市も30万人が要件である中核市を目指していたが、近隣自治体と合併協議を行なったものの議員定数問題と合併特例債の配分でまとまらず、ご破算になったという。

マイクロバスで山形駅周辺整備事業のシンボル的建築物である霞城セントラルへ(下写真)。24階建て。山形県内では群を抜いて高い建物。土地は県・市、建物は民間・県・市が区分所有。ビル全体の管理運営は建物の区分所有者でもある商社の双日(旧日商岩井・ニチメン)が行っている。入居率は現在97%。都市の規模に比べかなり巨大なビルで公共施設の入居が多い。高層階はワシントンホテルが入っている。建物内の山形市市民活動支援センター会議室へ。山形市新都市拠点整備課のKさん、Tさんから説明を受ける。その後、質疑応答。

区画整理事業や山形城跡内からの体育館・野球場移転計画等についてもあわせて伺う。区画整理事業の一つの目玉であった県民文化施設が県の財政難で凍結されてしまったようだ。展望室から見ても土地が余っているように見える。

また、明治期に、山形城の二の丸の濠横に国鉄の線路を引き駅舎を設置したことで、町人街(商店街)と山形城が線路で分断されてしまったという。姫路で言えば国道二号線の位置あたりに線路が走っているような状態ということになろうか。線路を商店街に近いところに引き、そこに駅舎を作る案もあったようだが、「汽車から火や煙がもたらされる」と商店街が反対したという。都市計画という概念は昔もあったと思われるが、明治期の鉄道線路の敷設位置がその後の街づくりに大きな影響を与えている。そういえば、田中角栄元総理が姫路の国鉄線路を今よりもっと南に移設することを提案したという話を聞いたことがあるが、万一そうなっていればどんな影響があっただろうか。

ここ山形市でも水道水のペットボトルをつくっているとのことで供された。来客や庁内用という。一般に小売すればという提案もあるようだが、店頭で売るにしても一般的なミネラルウォーターと同価格で売っても赤字になるという。武士の商法ではないが、世界的にも競争の厳しい水業界に水道水で打って出るリスクは大きい。賢明だと思う。

駅周辺整備事業概要(PDF)
山形駅周辺整備事業パンフレット(PDF)


霞城セントラルを見上げる


その後、マイクロバスで山形空港まで送って頂く。東北の自治体を訪問すると対応が丁寧であり、人柄等も温かく感じる。感謝感謝である。その後、JAL便で伊丹空港。リムジンバスで神姫バスターミナル。解散式。市バスで市役所。議会控室。作業。取材対応。その後、Rに迎えにきてもらい実家。その後、帰宅。

  未定稿
07/07 (金)

事務所で作業。徒歩で実家。途中、ご近所のFさんがバス停に向かっておられる。聞けば、駅南に行く用事があるという。声掛けして車に同乗してもらい送る。途中、父の病気の話や美術館の話。市役所に到着後、議会控室。K下水道局長、K部長来訪。網干沖で稼動中の皮革排水等の最終処理施設(兵庫県エース事業)の炉の更新が必要となっており、県が業者を公募すると発表する予定という。建設費のほか、20年間の維持管理費用を含め相当高額になる見込み。起債で資金調達し、県のほか、姫路市やたつの市等で償還していくという。基本的には県中心の事業のため、決定事項の報告であったが、事業自体、姫路市だけで年間24億円の収支不足が発生し財政で支えているという状況(H19年度、国・県に対する姫路市予算要望より)。国や県に対する要望の実現が望ましいが、昨今の時代背景の中では厳しいのが現実だろうと思う。その後、建設局関係の報告を受ける。その後、視察内容をまとめる。私が企画した視察はこれで最後。昼食抜き。

その後、姫路バイパスを通って神戸玉津の中央リハ病院。病室で父の病状を見る。2度目の肺炎の症状は傍目から見てもかなり辛そうで、体力もかなり奪われている。昨日来た母は見ていられないと言っていたが、その気持ちがわかる。その後、主治医と別室で話す。もう一度手術が必要で、この病院ではできないため、他の病院に一時転院する必要があるという。倒れた当初は家族と医師・病院の意向や現状認識が異なることもあったが、ことここに至ってその差がなくなってきた。つまり選択肢がなくなってきているのである。医療保険適用のリハビリの上限180日も視野に入ってきた。重症の脳梗塞の厳しさを家族と共に身をもって感じている。

その後、姫路バイパスで戻る。手柄のM代議士事務所。O秘書、T秘書らに報告、懇談。統一地方選挙の他党や他候補の動きなども耳に入ってきている。県議は他党を含め現職が全員公認(民1自4公2共1)される一方、市議は公認が報道の対象でないのでわからないが、新人の動きもかなり聞こえてきているようだ。その後、実家。主治医の話を伝える。眠れない日もあるようだ。その後、R、雪之介と帰宅。仮眠をはさみ頂いているメールに返信など。徹夜。

  未定稿
07/08 (土)

徹夜のまま、急ぎ出張準備をして事務所。選挙関係の資料をカバンに入れ砥堀駅。播但線で姫路。新幹線ひかりで新大阪。のぞみに乗り換えて東京は品川。山手線で代々木。総武線で千駄ヶ谷。千駄ヶ谷といえば学生時代、アルバイトの帰りに行ったことのあるホープ軒。チャーシュー麺。東京では昔からの有名店だがラーメンサイトの情報通り、盛者必衰という言葉が結構当てはまる業界である。

その後、徒歩で日本青年館。民主党青年局全国大会に出席。今回も党本部の先輩から事前にファシリテーターとしての出席を要請されていたが、父の手術がもう少し後になったので出席できた。会場では党本部職員の元同僚Mさんと懇談。共通の知人で国政選挙に落選した人の近況を伺う。落選によって家庭は崩壊し仕事を失ったという話も。機材用データ等の要請をしたところ快諾してもらった。また早大鵬志会の後輩で、佐藤謙一郎代議士や岩国哲人代議士の政策秘書もつとめていた作山くん(31)とも遭遇。風の便りで聞いていた通り、神奈川県議選(横浜市中区選挙区)に公認で出馬予定という。1人区で68歳の自民党ベテラン現職議員が相手候補。厳しい戦いだが覚悟を決めて頑張るという。一度姫路の自宅に寄ってくれたこともある。頑張ってもらいたい。その後、大会が開会。司会は田名部匡代参議院議員。今日の出席者は各県2名程度。全国から100人という。

まず私と同い年の泉健太青年局長(代議士)、旧知の津田弥太郎参議院議員の挨拶、事務局の説明など。その後、鳩山由紀夫幹事長の講演「民主党とは(党史・理念)」。旧民主党結成以降の活動や菅直人元代表との関係、前国会の永田メール問題。小沢代表と小泉総理の関係では、「小沢代表の言動を権力闘争と批判しているが、小泉総理の「自民党(経世会・郵政族・道路族)をぶっ壊す」ということこそ権力闘争である」。また先日亡くなった故橋本龍太郎代議士との関係では、自民党離党通知の思い出や弟の橋本大二郎高知県知事と小学校の同級生で自民党推薦の現職を敗った最初の知事選の応援に一緒に行ったという話も。また西郷南州遺訓を引きつつ、政治家のあり方について話された。最後に「(青年局は一般的に40歳未満という年齢制限がある)皆さんはやり直しのきく年齢。これからの民主党を背負っていって欲しい」。TVカメラや記者も入り、講演の冒頭では、北朝鮮のミサイル問題に言及したのでニュース等になるかもしれない。この後、地元苫小牧に帰るという。女性問題が発覚して夫婦で記者会見した苫小牧市長が自民党出身であったことから、辞任後の選挙では民主党系候補を立てたのだそうだ。

その後、日経新聞出身の近藤洋介青年局事務局長(代議士)の講義「民主党の戦略(活動方針・運動)」。
今回は選挙未経験で新たに選挙に出る人も参加している。「選挙に出るなら数百万円を自分で集められないような人はやめた方がいい。党に頼るなんて考えは甘い」といったような当たり前の話のほか、「民主党地方議員数は1593名(2002年)→1938名(2006年5月)。少し増えたが、他党と比べればまだまだ。民主党籍のある都道府県議は、岩手県51議席中24人、北海道110議席中36人、東京都127議席中34人、山形県47議席中1人。地方議員を増やすことが国会議員を増やすことにもつながる」。また、マックスウェーバーの『職業としての政治』の話や1953年のペリー来航と1967年の明治維新時の主要人物の年齢などを話された。明治維新の年には有名な3人も亡くなっている。高杉晋作が29歳、中岡慎太郎が30歳、坂本龍馬が33歳。若いが名を残している。

休憩の後、司会が元東大助教授の藤末健三参議院議員に交代。その後、徳田太郎(中小企業診断士/つくばビジネスサポート代表)さんの講義「『協働』を可能にするファシリテーションの技術」。他の参加者と議論。原口一博代議士のE秘書とも久方振りに話す。「いま何しているんですか?」と言われる(苦笑)。姫路市議というと驚いていた。

その後、班別行動となる。26歳の方も。アイスブレイクとしての自己紹介では相手を褒める面談の訓練も。勉強になる。その後、立食で夕食懇談。仙台市のA市議には先日の視察の御礼も。Oくんの話も出ていた。ステージでお国自慢をせよとのことで、姫路城とM政調会長の話をする。その後、国会議員や持ち寄ったポスター・リーフレットの展示会。人目を引くような面白いものもあった。その後、課題の文章作成。これで研修は終了。その後、新宿の池林房。元外務省のYさん、政治関係のI先輩と懇談。北朝鮮をはじめ日本関係諸国の外交など大いに勉強になる。政治のあり方についても見識が高い。感心。その後、旧知のOさんが独立開業したということで懇談。I先輩はストレスが溜まるのかタバコを吸い始めていた。心配である。


  未定稿
07/09 (日)

民主党青年局夏期全国研修会2日目。7時から全日本仏教会の副理事長で臨済宗のお坊さんの講和、黙想など。その後、朝食懇談。その後、部屋で旧自由党出身の某政令市議と懇談。衆院の比例代表選挙での復活当選を1回だけに制限すべしという提案を熱心にされていた。小選挙区では常に勝てないものの、一定の惜敗率がとれる候補者が比例上位を独占することのデメリットが大きいという。確かにこの弊害はある。その後、国際ホールへ。今日の講師である党本部広報戦略本部のH部長と懇談。H部長は私の顧問になって頂いている。他に学生時代からお世話になっているOさんがおられたのでご報告。その後、アスクのM社長の講義。「来るもの拒まず、去るもの追う」「後援会と親藩・譜代・外様区分」。その後、H部長の講義。法規について。「全国的に、政治家が選挙区内に対して寄附を行い、身分を失う例が増えている。『手ぶらで会合に行けるか』という実態は理解できるが、通報等で法が適用されればアウトになる」という話も。法を守ることが「世間知らず」「ケチ」と陰で批判される実態。政治家側だけの意識の問題ではないことも確かである。

その後、班別の座談会を途中退席。総武・中央線で東京。新幹線で姫路。タクシーで市役所。03会のメンバーと合流。飾磨港へ。家島へ渡航(予定)

  未定稿
07/10 (月)

朝食後、Oさんに家島事務所(旧家島町役場)まで送って頂く。今日船で渡ってきたA議員、N議員も合流。F所長、M副所長、H課長補佐、H係長から会議室にて家島事務所の体制や町内のインフラ整備、事務事業の概要等について説明を受ける。家島と坊勢島の間に橋を架けることを県に要望した歴史もあるという。その後、質疑応答。旧町時代の人口推移、産業・町税状況等の資料を見ていると、関空・神戸空港等の大型公共事業の終息もあり、鉱業、運搬業等が落ち込み、町税収入もかなり落ちてきていたようだ。公共事業の今後を考れば、新産業の育成が検討されてきたはずだが、これまでは落ち込んでもその後に空港等の新需要が入り、息を吹き返してきたそうである。ここでは社会減に加え、既に人口の自然減も始まって、5年前の前回国勢調査より10%以上の人口減少となっている。家島診療所の医師(定員2)が1人欠員で夜勤等の対応も苦しい状況という。

見晴らしのいい場所から採石後の男鹿島の姿を見たが、無残な姿にメンバーも驚いていた。石が町を支えてきたという。北海道の夕張市は石炭産業の衰退後、新産業の創出に失敗し、公共事業も減る中で、結果として財政再建団体に転落した。元々黒いダイヤ(石炭)で巨万の富を稼ぐといったような話でもなかったという。家島の場合、石は町ではなく区会の管理する財産という。恩恵を受けてきた島民も多く、財産形成にもつながっている。新産業として本格的に観光に力を入れるとなると、採石跡の整備が必要になってくると思うが、なかなか話がまとまらないという。これにしても過去の収益の状況から所有者に対処してもらうことを基本に考えなければならない。商店街などでも過去の財産が新施策の展開や一体化の邪魔をすることがあるという話を聞いたことがある。この対処策は簡単ではない。※所得補足

私は、行政としては漁業の家島・坊勢ブランドの形成を支援すべきだと考え、合併前から委員会の場などで産業局にも提案している。現状ではブランドがあり高値で取引される他の漁港で水揚げされ、そこのブランドで売られることが多いという。島内持ち込みも多くなく売られる魚の値段も安くないという。ブランド形成は味はもちろん、そのピーアール方法や形成マネージメントが特に重要になってくる。合併のメリットとして活用するためにも、これらのソフト事業に対して積極的かつ重点的に実施すべきであろう。


家島本島の玄関口「真浦港」の高速艇乗り場


家島事務所にて家島の概要及び課題についてF事務所長ほか幹部の皆さんから説明を受ける


家島本島から坊勢島に向かう坊勢渡船
地元の方は慣れた感じで単車に乗ったまま乗船しています


家島本島から男鹿島を望む
採石産業がもたらした富と失ったものに思いを致す


その後、車に乗って島内を回る。交通手段の中心は単車と軽自動車。(常備消防)消防署予定地も見た。(非常備消防)消防団との調整は簡単ではなさそうだ。町民の方に合併の影響を問うと、小学校の修学旅行が変更になったことを真っ先にあげる方も。2泊3日のディズニーランド修学旅行がなくなってしまったのが残念という。よく話題になった水道代は、安くなった人がいるということは聞いたことがあるが、反響はあまりないという。行政サービスの変化は良くなったことより悪くなったところに目がいく。これはどこでも同じ。その背景にある財政や税収の状況を冷静に判断することも必要だろう。

その後、高福ライナー(900円)で飾磨港へ。市民クラブのA議員の車に同乗させて頂き、飾磨の揚子江飯店。唐揚定食。意見交換。03会の打ち合わせ。その後、市役所。控室。都市局のTさん、Sさん来訪。網干・英賀保間新駅新設にかかる大津周辺の用途地域の変更について説明を受ける。その後、徒歩で手柄のM代議士事務所。K事務局長と打ち合わせ。その後、他の秘書団と懇談。その後、T秘書に市役所まで送って頂く。その後、作業。この1週間は出張等で結構忙しかったが、日記の更新はタイムリー。出張の間は合間の時間が使えるので、モバイルパソコンに向かう時間があるからである。と、昨日、喫煙していることを当日記に書いたIさんからメール。日記に書かれ恥ずかしいので止めるという。驚く。その後、父の病院帰りのRに迎えに来てもらい帰宅。

  未定稿
07/11 (火)

実家。父の病状について聞く。肺炎おさまらず。その後、車で砥堀のジョイフル。Tさんに依頼案件の報告、意見交換。その後、電話で市観光交流推進本部、下水道局の関連案件の陳情を受ける。その後、市役所。控室。少し空けると書類整理だけで大変。その後、先輩議員に諸報告。その後、Aさん、Sさんら来訪。懇談。遅くまで作業。立ち話の際に蚊に刺され、痒い。

  未定稿
07/12 (水)

自宅で作業。その後、車で市役所。議会第一応接室。市民クラブのY議員の呼びかけで、K副議長、A議員と共に、サークル withのメンバー、N健康福祉局長、G障害福祉課長、M係長と意見交換。サークル withとは、重度心身障害のあるお子さんをもつお母さんのサークル。短期入所施設の地域偏在、医療圏域の課題のほか、ルネスの先進的取り組み等について話し合われた。対象となる人数が多くないだけに大きな声になりにくい。声の大小ではなく、困っている人を助けるのが政治。Y議員が述べておられた役割を私が果たしていかなければならない。その後、Y県議と打ち合わせ。その後、下水道局。K局長と話す。その後、下水道整備室のK主幹ら控室に来訪。説明を受ける。その後も下水関係で河川管理課のT課長、M課長補佐らと議論。その後も相談や陳情などの電話や来訪者など多し。その後、Kさんを囲む会。Tさん、Sさん。今日は面談以外に電話でも都合3時間ぐらいいろいろな方と話した。今朝まで充電していた携帯電話が途中で切れてしまうほど。忙しかったというだけで、進捗状況は芳しくないのだが、更にやる気が出てくる。

  未定稿
07/13 (木)

事務所で作業。R運転の車で実家。その後、大手前公園。徒歩で姫路城の迎賓館へ。まず観光交流推進室のO室長とお城祭りでの黒田侯来姫の件について打ち合わせ。その後、城内三国堀付近へ。”国際ソロプチミスト姫路西”の皆さんによるAED寄贈式へ。今年2月に実施したチャリティバザーの収益で姫路城内に2機のAED(自動体外式除細動器)を寄贈してくださるというありがたい話。Y会長の挨拶やI副本部長の返礼の挨拶など。私はメディアの皆さんと共に取材目的で行ったのだが、予想外の指名があったので、一言挨拶させて頂く。ネクタイも締めずだらしない格好だった。

AEDについては当HPだけでなく、市民クラブの代表質問でも先輩議員も取り上げてきた。AEDは電気ショックが必要かどうか心臓の状態を判断し、必要なら電気ショックを与える機械。人間の突然死の死因のほとんどが心臓疾患で、その多くが心室細動。この心室細動を正常な状態に戻す方法が除細動(心臓への電気ショック)である。機械は救命の手順を音声でも指示する。AEDを学校や多くの人が集まる公共の施設など様々な場所に置くことで、突然死を防ぐ一助になる。実際に使う姫路城管理事務所の方も既に講習を受けられているという。外国では社会的成功をおさめた人が、租税負担以外に、社会貢献を考え、それが文化になり、一般化している。日本では、拝金主義や格差社会が強まっているが、こうした寄附の文化の高まりはまだまだ。ボランティアの方は阪神淡路大震災で広がった。寄附の文化も今後の広がりに期待したい。



国際ソロプチミスト姫路西の皆さんと市長の代理として寄贈を受けたI観光交流推進本部副本部長

その後、Sさんの車に同乗させて頂き市役所。その後、市役所南郵便局。その後、ファミリーマートで揖保の糸そうめん、野菜ジュース。その後、資料・メモ等の集約、各種情報のまとめなど。その後、同僚議員、来訪の職員と懇談。父のことをはじめ、私のことなど、いろいろご心配頂いている。その後、作業。遅くまで。

  未定稿
07/14 (金)

車で市役所。庁内訪問など。市が管理している緑地の車止めポールが盗まれているとの話も。海沿いの各都市でも被害が出ているそうだ。S社のKさん来訪。その後、頂いているメール等に一部返信。市役所北のローソンであら挽きフランク、野菜ジュース。Sさんに写真データを拝借。その後、市民クラブのN議員と懇談。その後、M社のAさんと懇談。その後、控室で作業。帰宅後、伯母さんに頂いた明石は魚の棚商店街の黒谷商店のうなぎ。美味。土用のうなぎといえば、セブン−イレブンや国会を思い出す。前者は今コンビニに行けば予約を受け付けたり、チラシを配ったりしている。直営店等では販売ノルマもある。そういえば、「みのもんたの朝ズバッ!」でもたまに見掛ける知人Kさんもうなぎ嫌い。歯ごたえが嫌いらしい。うなぎの場合、一般的なうな重などは、うなぎとごはんだけなので、手もつけられないそうだ。夏場の昼食にはうなぎという人も業界関係者には結構多いので昼食の注文に頭を悩ませたこともある。と森重のうなぎが食べたくなった。

  未定稿
07/15 (土)

朝依頼された電話掛け。その後、家に籠もり作業。暑いので、昼食には乾麺「腰じまん」を茹でてもらう。美味。一人暮らしの頃は、乾麺1袋やパスタ300gを茹でて、1食にしていた頃もあった。今思えば、よく食べていたと思う。いずれも1パック100円で満腹感を味わえた。今年は暑いこともあり「腰じまん」の売れ行きも絶好調らしい。作業は議論もあり進捗せず。

  未定稿
07/16 (日)

自宅の書類等を片付ける。結婚以来2年と少しの間片付けていない。整理といったいいものではなく、まとめただけ。その後も家に籠もり作業。昼食はチャーハンをつくる。イトメンのチャンポンめんも。子供の頃、イトメンのチャンポンめんにはたまに「当たり」があって、5円玉が入っていたことを思い出す。袋を少し触ればどれが当たりかわかったものだ。電話による依頼や相談ごとも。作業は今日も進捗せず。

  未定稿
07/17 (月)

3日連続の雷雨。この間、雪之介がずっと震えている。息があがっているようにも見える。特に遠方から響く音が苦手のようで、花火の音も大の苦手である。その後、播但道・姫路バイパスで神戸のリハ病院。雨が強いこともあったのか、加古川辺りで少し渋滞。

1週間ぶりに父の様子を見る。肺炎は発症後2週間たちようやく落ち着いたようだ。しかし、連続した2度目の肺炎によって体力がかなり落ち、その間の寝たきり生活が更に生命力まで奪っているように見える。新たな症状も出て、酸素吸収力も落ちている。いま痰すら自分で出せなくなっている。とってもらうのは嫌がり、意固地になる。それでも看護師さんに無理を言って、車椅子に乗せて病院内を散歩させてもらった。車椅子を押していると涙が出てきた。勝手に少し前までできた肩を持たせて立ち上がる訓練をしてみた。打つ手が限られ、今の私にはできることがなくなっている。それがわかるから余計つらい。

  未定稿
07/18 (火)

夜明け前から作業。東京方面から様々な情報を伝える電話やメール、はがきなど。東京を離れて4年以上たつが、その間に衆議院総選挙が2回、参議院選挙が1回。国会の構成だけでなく、それに関係して多くの方の人生も変わっている。その家族もしかり。そんな形式をそばで見ながら、安定した公務員の立場を捨て、選挙によって選ばれる政界に打って出る人もいる。「志」である。私の先輩の活動状況等も側聞。支援者の方がお嫁さん探しをしてくれているようだ(笑)。その後、車で市役所。控室で作業。資料の作成。郵便局。三井住友銀行。その後、来客対応、市政記者クラブ、職員の方と懇談など。庁舎内には喫煙コーナーがあるのだが、ここでする話が結構ためになる。家族の健康の話題も出た。言い忘れたのだが、健康の話をする前にたばこの量を減らしたらいいと思う(笑)。その後も作業。

  未定稿
07/19 (水)

体調芳しからず。播但線も北方大雨のため遅延。神姫バスで姫路駅前。りそな銀行姫路支店。そういえば、りそな銀行は国会内に支店がある唯一の銀行(旧大和銀行。郵便局は除く)。衆議院支店が国会内に、参議院支店が参議院議員会館内にある。その後、市バスで市役所。議会控室。同僚議員と打ち合わせ。その後、坂田町の商工会議所。Mさんと向かいのDINING KIKO。すじカレーを食べつつ懇談。少しアドバイスさせて頂く。その後、市役所に戻り、同僚議員と懇談。その後、創夢会控室。先輩議員から内緒話。その後、夕刊で市職員が猥褻事案で起訴との報道。同僚議員を含め皆大いに驚く。同じ人間が同じような事案で3度にわたって報道される。市議会では委員会で既に議論があったことだが、市の信用低下と危機管理の問題にもつながる。企業出身の先輩議員に民間企業の実情を聞く。個人の資質といえばそれまでだが、任用方法を抜本的に変える必要がある。何度か言っているのだが。その後、Aさん来訪。意見交換。その後、調べもの。遅くまで作業。

  未定稿
07/20 (木)

車で市役所。広畑区才や安富町の土砂崩れ等の被害状況について同僚議員から説明を受ける。多くの議員が避難場所である体育館や災害現場に入っているという。A議員によると消防局や消防団の皆さんの睡眠不足も気にかかるという。鉄塔が倒れる危険性もあるらしい。安富町の「関の火祭り」も通行止めのため中止になるそうだ。

その後、議会事務局。家島から来ているIさんから瀬戸内海の悪天候時の対応や島の実情等について聞く。その後、『指定管理者制度の現場』(出井信夫・吉原康和著)を注文。以前に東京新聞のY記者から取材を受けたのだが、私の質問内容も掲載されている。新聞に名前が載ると、データベースにも入る場合があるそうで、そのルートから取材を受けた。その後、市役所南のファミリーマート。野菜ジュース、フライドチキン。その後、父の勤務先の事務長と面談。父の肺炎が治らない。その後、作業。会派予算要望についてのHP作成。夜遅く。雨。タクシー。

  未定稿
07/21 (金)

事務所で作業。某県議と打ち合わせ。捜査関係者と懇談。手柄のM代議士事務所。打ち合わせなど。議員党費の請求も。県連からも請求。地方議員の場合、党に所属していると財政運営についてかなりの負担をする。よく選挙などで党からの財政支援に触れられる方も多いのだが、それは全く逆である(笑)。党組織を運営する人が必要であり、人を雇用するのは資金が必要ということ。政党だけでなく企業や組織も同じ。そういえば、先月、民主党の国会議員候補の公募を締め切ったが、高い見識や経験をもった人からもたくさん応募があったようだ。素晴らしい。民主党シンクタンク「プラトン」の資料を頂く。時間なく昼食はサントリーの
DAKARA280ml。その後、市役所。会派控室。作業。その後、北条の百太郎。誕生日祝。その後、ゆかた祭り奉賛会の総会の内容を伝え聞く。結論は出なかったらしい。ニュースで福田前官房長官の総裁選不出馬の報に接する。あとは安倍総裁に次ぐ2位が誰になるかとその後の幹事長や組閣人事が注目の的になるぐらい。来年の参議院選挙が関が原になる。

  未定稿
07/22 (土)

車で山陽百貨店。買物。その後、白浜。ヤマサ海の家。Rと姫路早稲田倶楽部のビアパーティー。先輩後輩諸兄と懇談。来年の市会議員選挙の話題も。その後、市職員に対する恐喝未遂の疑いで逮捕者との情報。今年3月に本会議で私が取り上げた対行政「不当要求行為」の当事者。指名手配中だった。市役所に立ち寄り、書類等をピックアップ。その後、市役所西のボングールでパンを購入。その後、議論。

  未定稿
07/23 (日)

終日、自宅にて作業。書類作成、資料整理に明け暮れる。寸暇を惜しんでいるが、なかなか進捗せず。久方振りにメールチェックやSNSの返信なども。一人でこなせることには限界もある。土用の丑ということで西二階町脇の森重。うなぎ。美味。

  未定稿
07/24 (月)

早朝起床。普段より1本早い播但線で姫路。混んでいる。月曜定例の街頭演説。自治やガバナンスのあり方、補完性の論理等について話す。終了後、M代議士と打ち合わせ。その後、地下街のカフェ・ビードロ。市政懇談会。いろいろ要望を頂く。その後、市バスで市役所。議会控室。作業。その後、会派市民クラブの総会。決算特別委員会の構成や希望等について。来年度の予算要望の取りまとめ責任者も依頼される。快諾。その後、手柄のマス徳の出前弁当。その後、姫路バイパスを通って神戸のリハビリ病院。父の担当医と面談。肺炎が治らないのは、2度目で抗生物質が効きにくくなっているからだという。MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)感染症。黄色ブドウ球菌は、常にありふれた菌ということだが、抵抗力が落ちてきているということだろう。厳しい。PT、STさんとも話す。私にはどうすることもできない。その後、ガソリンを入れていると、車の状態についていろいろ指摘される。部品交換など。素人はされるがままである。その後、市役所に戻り、作業の後、帰宅。

  未定稿
07/25 (火)

父の病状について家族と意見交換など。

  未定稿
07/26 (水)

自宅にて打ち合わせ。その後、車で市役所。記者クラブ。8月4・5・6日に開催される「第57回姫路お城祭り」の記者発表に同席。黒田24騎の騎馬参加が加わったり、良さ恋まつりと合同開催となるなど今年から変わる。HPでも改めて宣伝したい。

黒田24騎とお城祭りについて

他会派の議員さんが訪ねてこられた。こちらからお願いする前にありがたい話も。私の普段の言動を見た上で判断して頂けるのは何より嬉しい。その後、同僚議員らも交えて懇談。秋田市議会の議員が姫路市に視察に来られたそうだが、姫路駅からタクシーに乗って嫌な思いをされたという。姫路市議会を表敬訪問した挨拶の中で苦言を呈されたというから余程のことであろう。私もたまに市役所まで乗るが、乗り場から乗ることはしなくなった。先日の毎日新聞にも同様に嫌な思いをしたT姫路支局長の記事が載っていた。インターン生のSさんの時もそうだった。接遇研修やもてなし意識の話は既に終った。一昨年の重点予算ヒアリングの際に提言したのだが、新姫路駅には近距離乗り場ではなく、ワンメーター専用の乗り場をつくる必要がある。

2003年の本会議で質問した家老屋敷跡公園の移転問題でも動き。家老屋敷跡は財務省所管の国有地。昭和63(1988)年度より移転交渉を開始したというから、18年経過したということになる。収用委員会が県の所管であるが、立ち退きや移転交渉等の事務は市町のような狭い範囲の自治体には特に力がいるということだろう。

新美化センターの入札で1社(グループ)しか応札がなかったとのFAX。わざわざ一般競争入札を実施した場合に1社しか応札がなかった場合でも適法である旨の解釈文まで送付されていた。この施設については20年間の運営費を含め予定価格(上限)が436億円と姫路市では1件としては過去最高額の契約案件という。これまでも市議会だけでなく周辺からも様々な話が聞こえていた。今回の入札では、市外の談合発覚により指名停止となっている有力企業が複数あったものの、入札を延期せず、結果として1社になったということのようだ。既定のルールを変更して競争させるより、コンプライアンスを重視した結果で当然。民主主義のコストという側面である。

市役所玄関にて子供たちの大きな声。足なが募金か何かかなと思ったが、ラブホテル建設の反対署名だった。

  未定稿
07/27 (木)

大学時代の友人Yくんが結婚との連絡。タヒチで挙式し、銀座でお披露目するという。めでたい。各種作業ほか多忙。

  未定稿
07/28 (金)

黒田24騎のお城祭りパレードについて記者会見の打ち合わせ。その他作業。HP更新準備。今回もNさんに助けて頂いていいページが出来上がった。近いうちに公開したい。

  未定稿
07/29 (土)

手柄のM代議士事務所。民主党姫路総支部の幹事会。私の県議会公認の上申(8/5)を役員全員一致で決定。「県会・政令市議会」の複数擁立の民主党本部方針は従来からの懸案。あわせて、M代議士、他都市選出県議、同僚市議、他会派の市議からも実は出馬要請があり、熟考を重ねていた。最終的には自分で決断した。その後、M代議士の会費制後援会「たけあき倶楽部(年会費1000円)」のイベント参加。

  未定稿
07/30 (日)

議員分担金の納入要請。書類作成。

  未定稿
07/31 (月)

Oさんと面談。M代議士の民主党姫路総支部の記者会見に同席。質疑応答など。その後、各課を訪問。手続きなど。黒田24騎の市役所表敬に対応。記者クラブでの発表に立会い。昼食時間なし。

高校野球は東洋大姫路高校が優勝。父は同高一期生。普段は見ようともしないのだが、最後の校歌斉唱の際に病室のテレビのイヤホンを耳にあてると、珍しくにこりとしたという。



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